優先席付近でスマホを使ってたら「私の医療機器に影響があるので使わないでください」とおじいさんに言われた。
優先席の概念ではそのとおりなので「はい」とつたえスマホを操作しないように応じるが、通信をやめるわけでもないので本質的ではないなと感じる。また近くの席にスマホを使うお姉さんが優先席に来た。おじいさんはその人にも同じ言葉で依頼をするがその人は操作をやめない。そのおじいさんは席を立ち、ドア付近へと移動する。最近の医療機器では干渉する可能性は限りなく低いのに、などと思う。そのおじいさんが怖がっていること自体に課題があるのではないかと感じる。誰がおじいさんをこんなに怖がらせているんだろうか?と考えるがわからないので尋ねてみることにしました。
席を立ち、「もし失礼でなければお伺いしたいです。このお話自体が嫌でしたら私はこのまま立ち去ります。スマートフォンがペースメーカーに影響を与えるとお医者様から伺ったのでしょうか?」と聞いてみた。
おじいさんの認識が事実と異なってる事を知っているのかどうかを訪ねたかった。おじいさんは強く目を見開き丁寧な言葉ではっきりとした声で誠意を持ってこたえてくれた。
「最近の医療機器では総務省は15cm以内でなければ干渉しないと発表されてますね。」
この時点でこの方は論理的には危険がないと認識していることは理解できた。おじいさんはつづけた
「ただ、本当にそうなのかは誰もわかりません。拳銃を突きつけられ”これは玉が入ってないから安全だ”と言われている感覚です。もしあなたが同じことを言われたらどう感じますか?」
と。今にも泣きそうな目をして理性的に感情を伝えてくれた。きっと”怒り”を精一杯のちからで”理性”に変換してくれたんだろう、強い祈りのような顔だった。
私は無意識だったが、両手を前で重ねてお辞儀をするポーズをしていた。答えてくれたことへの感謝と申し訳無さからそのような所作に至った。「お気持ちを察することができなかった為、知りませんでした。教えてくださりありがとうございました。嫌な気持ちにさせてしまったこと、お詫び申し上げます。」といい優先席付近を立ち去った。
「おじいさんの気持ちがわからない」といって切り捨てることはとても簡単だ。だが切り捨てたくはないと思った。私はきっと未来おじいさんと同じ感情を持つからだ。言うなれば今でももうすでにマイノリティの怒りや不安は感じている点はある。
配慮すべきは「精神的恐怖」であり、それは常に事実よりも優先される。
コロナウイルスの蔓延において「反ワクチン?事実と異なるのでそんなことを言う人は馬鹿だ」などと思う側の人は多いと思う。けど立ち止まって考えてみよう。違うケースにおいて、事実よりも精神的恐怖を優先することは自分には本当にないんだろうか?
私達が学ぶべきことはその精神的恐怖の克服の仕方、精神的恐怖を感じる人とも調和をとること、なんじゃないかと思った。
難しそうである。
ただ、おじいさんの今にも泣きそうな顔が忘れられないので優先席付近には近づかないようになりました